神ノ道

神ながらの道

オン草紙
【第二部外伝】失敗も守護やご加護

 歌舞伎役者の中村橋之助が、週刊文集に捕まりました。京都の芸者との禁断の愛を報じられたのです。このところ、有名人・芸能人の不倫や浮気報道が後を断ちません。私自身の知る限りでも、3人の有名人のその手の話を実際に知っています。男は所詮、浮気をする動物などと云えば、女性からお叱りを受けるでしょうか。人類の何十万年にも及ぶ歴史から見れば、西洋的というかキリスト教的な一夫一婦制が、正しい姿だとされる歴史は、本当に短いものです。長い間に形成された生物学的なDNAは、社会的に作られた枠組みになかなか一致していかないのも事実でしょう。これ以上男性弁護的な事を書くと叱られそうなので、本題に移ります。


 今回の騒動で女を上げたのが、奥様の三田寛子だと云われています。確かに、アイドルから梨園の妻という閉鎖的・封建的な世界に飛び込みながら、きちんとその役割を果たしていた彼女の評価は元々高い物があります。それが、今回の騒動でのマスコミ対応などから、さらに評価が上がっているわけです。ま、女優ですから、どこまで本当なのかわかりませんが、彼女の発言には、少なくとも彼女の気持ちが表れているように思えます。


 記者が記事にする前に彼女に会ったとき、彼女は次のように発言したそうです。

 「歌舞伎の”芸”の話ではなく、人として、役者として、旦那様として、父親として責任があります。文春さんがこうして来られたのも、神様が主人のために必要だと思ったのでしょう。自覚を持つようにと。真摯に受け止めなさいと」(週間文春9月22日号より)

 また親しい芸能人には、「夫婦で至らない部分を補ってやってきたのに、こうやって世間にご迷惑をおかけしたことが、神様から『夫婦でもう一度立ち返ってみなさい』という時間をもらったと思う」という内容のメールがあったと云います。

 雨の中で記者達に答えた会見でも、「神様が、二人にもう一度やり直すように云々」という趣旨の発言をしていました。


 彼女が、神様という言葉をよく使うのは、神仏と関係の深い歌舞伎の世界に染まったからなのか、日本人の神ノ道(かみながらのみち)の感性が表出したからなのかわかりません。ただ、この種の発言を、私たちは何の抵抗もなく受け入れます。日本人の感性が良しとするのでしょう。


 では、霊的に見て、本当にこのような事があるのでしょうか?つまり、いわば人間社会の表面的な出来事としてみれば、失敗であるように見えることを、神や仏が仕向けることです。十分すぎるほどにあると考えます。例によって、何でも神仏や霊障などのせいにするのは慎むべきですが、守護神や守護霊は、時にその人の魂の修行にとってよかれと思う方向に導くことがあります。大きな事故が起きると、ちょっとした理由でその災難を免れた話は良くあり、人はそこに神仏などの守護・加護を見いだします。ですが、逆の場合もあるのです。

 受験に落ちた。就職に失敗した。失恋した。そんな一見マイナスに思えることでも、それが魂の修行にとってはかえって良い方向であるならば、時にそうなる事もあるのです。むろん、自ら努力もしない人間に、そのような形の導きはまずありません。あるいは、それこそ宿命として決められた方向からズレていれば、本来は受かるはずの受験に失敗したり、自分の望みとは異なる事態になる事もあります。  ですから、何事も精一杯やったその結果であれば、それを素直に受け入れて、次の段階に進む、それが魂の修行になるのです。実際、さまざまな失敗や苦労は、心を豊かにし、他人への思いやりの気持ちを育てます。


 小さな失敗ですぐ自分だけの殻に閉じこもるようでは、修行になりません。だからといって、浮気を奨励しているのでもありません。女性の嫉妬や怒りの思いは大きな色情因縁となる事もありますから、男女ともに注意すべきでしょう。

 神や仏のなすことは、人間が推し量れるものでは無いのですから、すべてに感謝して、あるがままを素直に受け入れましょう。それもまた、神ノみちの無常(自然の理)です。

平成28年9月16日(金)