これまで、刑罰には「懲役」と「禁錮」がありましたが、廃止されて6月1日から「拘禁刑」という刑罰に一本化されました。懲役は、刑務所での労働などの刑務作業が義務づけられており、禁固にはその義務がありませんでした。そもそも労働などの刑務作業が義務づけられていたのは、犯罪者への懲罰的な意味合いからでした。それがなくなったということは、この考え方を大きく転換した事になります。
これまでの懲らしめる事から、立ち直らせる事に軸足を移したと言うことになります。その事は、必ずしも悪い事ではありません。ですが、その元々の理由が、再犯が多すぎるからというのですから、なかなか考えさせられるものがあります。
それだけではなく、何の落ち度もなく被害にあった被害者や家族の心情をおもうと、何故犯罪者の人権ばかりがという思いがわくのも当然でしょう。さらに、死刑廃止論の高まりからかどうかはわかりませんが、死刑にならずに終身刑扱いの犯罪者が増えています。その為に刑務所が老人養護施設になってしまっているのです。ここでも人権尊重から、食事、排泄、入浴と、刑務所の外でここまで手厚い介護を受けられている年寄りが、どれほどいるのだろうかと思わせるような状態になっています。実際、この医療費だけで、年50億円も税金が使われているのです。
老齢化が招く介護の問題は、この国を根底から蝕み始めているとも言えるのです。年金等の福祉だけではなく、医療費の増大がこの国の財政を危機的な状況にまで陥らせています。国の借金が多いのは問題か、問題でないかはさておき、税収の内、現在や将来の為に使える予算の率がどんどん少なくなっている事態は、とんでもない状態なのです。なぜか誰もそれを取り上げませんが。
刑罰の形が変わったという話が少し脇にそれました。それでも、この社会の抱える問題の根っこは共通なのです。実際、犯罪者の再犯率が55%にも登るのですが、これも日本社会そのものが抱える根本的な問題とその根は同じでしょう。職業差別、職業訓練軽視、教育の歪み、行き過ぎた個人主義、金儲け至上主義等々、問題は山積です。社会そのものを、そして日本人の意識そのものを、根本から変えていく必要があるのです。公の意識を持つ指導者が、政治の世界に必要なのはその為です。
令和7年6月2日(月)