出生率最低報道で思うこと

 出生率が過去最低で、生まれた子供が70万人を割り込み、少子化が止まりません。少子化の問題については、これまでもいろいろと述べてきたので、今更取り上げることはしません。それでも二つほど指摘したいことがあります。

 2024年の子供の出生数が70万人を割ってしまったのですが、これは政府が昔発表した予測数値よりも、なんと15年も早いというのです。あまりに馬鹿げた話ではありませんか。政府というか官僚が出す予測ほど当てにならないものはなく、はずれるのが当然になってしまっているのです。つまり、はじめから違っていることはわかっていながら、自分たちに都合の良い数値を使うために嘘を発表しているのです。
 もうこの嘘つき予測は、いい加減でやめたらどうだろうか。また、15年も早まりましたと、平気で言い出す厚顔無恥さに腹がたつ。なぜもっと早く、少しでも実際のものに近づくように改訂版を出さないのか?これは出生率予測だけではない。政府の発表するすべての予測数値は、個々の政策の元になるものです。都合の良い数値を発表するのは、いい加減でやめてもらいたいと思うのですが。


 もう一つは、少子化対策の根本的な誤りについてです。少子化対策と称して、これまでに、一体いくらの予算がつぎ込まれてきたのか。四十兆円以上と言われています。その金は一体どこに消えたのか。鳴り物入りで作られた子ども家庭庁でも、7兆円以上の予算が使われていますが、その中身を見ると、少子化と関係のないような項目が並んでいるのです。ま、この問題を解決するには、結局政治家を入れ替えない限りできないのであろうから、何度も取り上げても仕方がないでしょう。それよりも、指摘したいのは、少子化対策は、結局は総合的な社会改革なのだということです。

 
 昔は近所にお節介ばあさんがいて、若い男女を見つけると無理にでもお見合いをさせようとしました。それを、時代遅れだとか、個人の人権だとか、見合いなどおかしいとか言って、絶滅させたのです。で、今自治体が、結婚相談所を設けたり、お見合いをセットしたりしているのです。

 昔は社内恋愛、社内結婚は当たり前でした。それが、いつに間に化同じ会社内で恋愛をするのはまかり成らん、と言うような空気がつくられました。また、独身かとでも聞こうものなら、セクハラだ、パワハラだと騒がれて、未婚かどうかすら確認できなくなりました。独身かどうかもわからなければ、付き合うこともできません。

 さらに女性もキャリア第一で、若いうちから仕事優先といわれ、恋愛などまともにやる時間すら与えられません。あげくは、40過ぎ手から子供がほしいと言って、不妊治療に励む。若いうちに産んでおけば何の苦労もないのに、生物学的な適齢期まで口にさせない社会になっているのです。

 自由な個人が最高なのだから結婚など口にするのは、遅れた人間、個人を尊重しない人間であるかのような社会が作られたのです。

 もうおわかりですよね。つまり、いわゆる先進国が軒並み少子化でなやんでいるのも、実は、そういう社会構造、意識の持ち方、政治・経済の進め方すべてが、少子化に進む方向だったからなのです。欧米で子育て支援にいくら金をつぎ込んでも、結局数年で元に戻り、根本的な快活策にはなっていません。日本も全く同じなのです。当然でしょう。社会のあり方がすでに少子化の方向を向いているのですから。

 本当に少子化をなくそうと思うのなら、この行き過ぎた先進諸国化に歯止めをかける必要があるのです。どこまでの自由がみとめられ、どこから先が、子供を生んで育てたいという希望に添うものにするのか。少子化対策とは、社会改革にほかならないのです。

令和7年6月4日(水)

2025年06月04日|分類:安保, 社会